岸本周平さんの父親は絵描きをしてて、伯父の会社でサラリーマンをしていました。
そんな父親はかなりしつけに厳しい方で、幼少期の頃には毎日ゲンコツを食らってたそうです。
そして、父親は2012年に92歳で亡くなっています。
母親はかなり優しい人で、大きな声で叱られた事は一度もないとか。
岸本周平さんは毎年母の日には、母親にカーネーションを送っています。
そして、兄弟は2歳年下の妹さんがいます。
当記事では、岸本周平さんの家族について書きました。
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岸本周平の家族|父親は絵描きで伯父の会社でサラリーマンをしてた
引用:X
岸本周平さんの父親は1921年生まれで、伯父が創業した会社でサラリーマンをしています。
そして、母親と結婚時は貧乏な絵描きでした。
貧乏な絵描きだった父と結婚し、私と妹を育て上げてくれました。
引用:岸本周平 ブログ
2017年2月26日の投稿にて、伯父が創業した会社は80周年である事が書かれてるので、かなり歴史がある会社な事が分かります。
さらに、父親は6年間戦争に行ってて、満州から南方のニューブリテン島まで行っていました。
父親は2012年に92歳で亡くなっています。
昨日午後には、和歌山県護国神社で春季例大祭に参列。ここでも、毎年、戦没者の追悼が行われています。私の父は、満州から南方のニューブリテン島まで6年間戦争に行って、九死に一生を得て生還。一昨年、92歳で死去。生前、戦争の悲惨さを語っ… http://t.co/dwEXO3L5PZ
— 岸本周平 (@shuheikishimoto) May 6, 2014
父親はゲンコツ親父だった
そんな父親ですが、明治生まれの様なゲンコツ親父で幼少期は厳しくしつけられたそうです。
ちなみに、父親は岸本周平さんが大学受験に悩んでた時に
との言葉を掛けてくれたそうです。
さらに、父親は幼少期の岸本周平さんがかなり内向的な人だったので、心配し小学校に入ってから町の道場で柔道を習わせてくれました。
厳しくも優しい父親だった事が分かりますね。
岸本周平の家族|母親はかなり優しい人で2歳年下の妹がいる
岸本周平さんの母親は1929年生まれで、戦争中に女学校の生徒で工場で勤労奉仕をされてて、幼少期にはその頃の苦労話を聞いた事があるそうです。
さらに、母親はかなり優しい人で大きな声で怒られた事は一度もないそうで、父親に怒られるといつも母親の背中に隠れてたそうです。
岸本周平さんはそんな母親のお陰でぐれずに育ったのと事です。
2009年5月10日のブログにて
母は何も言いませんが、財務省からトヨタ自動車に移籍するまでは、世間的には「優等生」の良い子だったのに、すべてを捨てて、選挙に出て落選。4年間浪人している息子のことは心配でしょう。その意味では、今、私はたいへんな親不孝者です。申し訳ありません。
それでも、自分の志を曲げずに、勇気を持って政権交代という目標に挑戦できる今の私の人生に感謝しています。
どうか心配しないでください。そして、ずーと長生きしてください。
私たちのために。
私たちの子供たちのために。
私たちの大切な人のために・・・。
信じられない政治に終止符を打つ。
そして、信じられる政治を創るために。
と母親への想いを書かれています。
そんな岸本周平さんは和歌山に戻って来てから、毎年母の日には鉢植えのカーネーションを母親に送っています。
そして、岸本周平さんには2歳年下の妹がいます。
以上が、岸本周平さんの家族に関する記事でした。
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