小山正明さんの妻は1965年に野球殿堂入りをしてる宮武三郎さんの娘さんです。
1960年頃にお嫁さんとは婚約をしています。
妻とは、宮武三郎さんの猿を貰った事がきっかけで出会っています。
そんな小山正明さんは家族と仲良しで、一緒にいる姿が目撃をされています。
当記事では、小山正明さんのお嫁さんと子供さんについて書きました。
小山正明の妻(嫁)は宮武三郎の娘!子供は息子がいる?
1960年1月13日新年特別号「週刊ベースボール」にて、小山正明さんが宮武三郎さんの娘と婚約した事が書かれています。
当時の小山正明さんは合宿暮らしの寂しさで「猿を飼おう」と思い、人づてに猿を譲って貰える話を聞き、その猿が生前に宮武三郎さんが飼ってた猿でした。
小山正明さんは猿を貰いに行くまで、宮武三郎さんの家である事は知らなかったそうです。
『猿がとり持つ小山(阪神)の婚約』という記事もあった。
阪神のエース・小山正明と慶大のスーパースターであり、阪急草創期の主力でもあった故・宮武三郎の愛娘の婚約。これはこれで大変おめでたい話だが、出会いが面白い。合宿暮らしの寂しさで、なぜか猿を飼ってみようと思い立った小山が、人づてに「譲ってもいい」という話を聞いたのが、生前の宮武が大切に飼っていた「もんちゃん」。ただ、猿を引き取りに宮武家に行くまで、あの「大先輩の宮武さん」とはまったく知らなかったという。
小山正明さんは、1934年7月28日生まれなので26歳くらいの時にお嫁さんと結婚をしたんでしょうね。
西村治彦の日記の2014年4月3日の記事にて、小山正明さんの甥と自身の次女が結婚した事が書かれています。
結婚式は京都で行われ、甥は明石市出身の方だそうです。
次女が「小山正明さん」の甥と結婚したのです。次女は 当然に「小山」姓であります。
京都での次女の結婚式で 私は「小山正明さん」と初めてお会いしました。
「小山正明さん」は 次女の亭主と同じ、兵庫県明石市出身であります。
ただ、小山正明さんに子供がいるのかどうかは不明でした。
ちなみに、こちらが小山正明さんの若い頃になります。
非常にイケメンですね。
こんなイケメンな方なんで、妻も綺麗な方でしょうね。
家族と仲良し
小山正明さんと家族との目撃情報がXにて投稿されていました。
スーパーで妻と買い物をしてた
2021年頃にジャズライブハウスに家族で来てた
お嫁さんとではなく、「御家族と御来店」となってるので、もしかしたら子供さんがいるのかも?しれませんね。
妻(嫁)の父親・宮武三郎とは?
妻の父親の宮武三郎さんですが
引用:野球伝説劇場「野球雲」・・・長嶋茂雄が新しい!野球の歴史を楽しもう。
こんな感じのイケメンな方です。
経歴は
1907年7月23日 香川県高松市生まれで、高松商業高校時代から「四国の麒麟児」と言われ1925年夏の甲子園大会で全国制覇をしました。
慶應義塾大学に進学し、1927年の東京六大学春季リーグ開幕戦で1年生ながら投手で完封勝ちをし、本塁打も打ちました。
大学時代の成績は
- 投手通算 61試合38勝6敗 188奪三振 勝率.864
- 打者通算 72試合 237打数 72安打 7本塁打 打率.304
7本塁打は長嶋茂雄さんが抜くまでリーグ記録でした。
そして、大学在学時に史上初の10戦全勝を含む4回リーグ優勝を飾りました。
1931年東京倶楽部に入り、1936年阪急軍(現、オリックス)に入団し、初代主将を務め、1936年春秋合計で33試合 121打数 43安打 打率.355の好成績を記録するも、翌年からはあまり成績を残せず3年で引退しました。
現役最後の1938年には投手として春秋通算で9勝を挙げています。
その後は、駒沢大学・専売公社など実業団チームの監督を務め、1956年12月11日に狭心症で49歳で亡くなりました。
1965年に生前の功績が認められて「特別表彰」として野球殿堂入りしました。
以上が、小山正明さんの家族に関する記事ですね。
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