深田萌絵さんは大阪で生まれて奈良で育っています。
出身高校は、「大阪の偏差値44の女子校」の可能性があります。
高校卒業後は嵯峨美術短期大学に進学し、一度就職をしますが、森永卓郎さんの著書を読んだ事でジャーナリストを目指す事を決めます。
そして、早稲田政治経済学部を2か月間の猛勉強を経て、見事合格し、現在の道を歩んでいます。
当記事では、深田萌絵さんについて書きました。
深田萌絵は奈良県育ちで出身高校は偏差値44?
深田萌絵さんは大阪で生まれ奈良県で育ちました。
Xにて、両親は大阪弁と河内弁を話す事が書かれてるので、両親は2人とも大阪人だと思われます。
以下の投稿により、実家は現在は大阪にある可能性があります。
出身高校は公表されていません。
以下のXの投稿により、深田萌絵さんの出身高校は
だった可能性があります。
大阪の女子高で、南京虐殺慰安婦七三一部隊など、偽歴史ばかり習いました。明治維新の後から戦後までの歴史授業がなかったので、戸惑いましたね。 https://t.co/pJWazWIUDd
— 深田萌絵 Moe Fukada (@Fukadamoe) November 17, 2018
ちなみにその偏差値44の高校って母校ネw
— 深田萌絵 Moe Fukada (@Fukadamoe) October 29, 2019
みんなの高校情報にて、大阪府で偏差値40~45の女子校だと
- 大阪成蹊女子高校
- 好文学園女子高校
- 城南学園高校
- 宣真高校
と言った高校があります。
なので、上記の中に深田萌絵さんの出身高校があるのかも?しれませんね。
高校時代は引きこもりがちだった?
深田萌絵さんは高校時代を「なんとなくヒッキー」だったと言ってて、高校生活にはあまり馴染めず、家に引きこもりがちだったとか。
勉強にはそこまで興味がなかったそうで、芸術方面に興味があり、美術の授業を熱心に取り組んでいました。
美術以外の教科に関してはあまり成績は良くなかったそうです。
学歴は嵯峨美術短大卒!
深田萌絵さんは高校卒業後は、嵯峨美術短期大学(現、京都嵯峨芸術短期大学部) 現代絵画科に進学しています。
就職活動時はかなり苦労したそうで、面接の時に「君の短大の子、採用しない事にしてるんだよね。ごめんね。」と言われた事もあるそうです。
就職は普通より1か月程遅れて決まり、東大阪の印刷会社に経理補助として働き始めます。
ただ、手取りが12万5000円くらいでキチンと社会保険などがついていない中小企業でした。
早稲田大学政治経済学部を目指した経緯
入社当初はミスが多かったので、30歳の先輩に目をつけられてしまい嫌がらせを受けました。
その腹いせにその先輩の給料明細を見ると、「手取りが十数万」だった事に衝撃を受け、自分自身の給料が20万円になる日は来ない事を知り、自身のキャリアップを考え始めました。
そして、森永卓郎さんの「年収300万円時代」を読み、「この非正規雇用の格差をもっと世の中にしらしめたい」と思い、ジャーナリストを目指します。
25歳の時に東京に旅行で来た時に、色々出版社やメディア関係を回った時に
とかなり酷い事を言われるも
深田萌絵さんは小学校の時に「人間は学歴じゃない」と言う教育を受けてて、「学歴ってどうでもいいんだ」と思い、生きて来ました。
ただ、この人の言葉で「学歴がないとダメなんだ」と思い、「ジャーナリストを目指す為に、早稲田の政治経済学部を受けよう」と決めました。
早稲田大学の政治経済学部の国語と英語の論文試験のAO入試ならチャンスがあると思い、仕事を辞めて2か月かけて英語と国語の勉強をして合格する事が出来ました。
深田萌絵さんは1日に12時間程勉強した事で、詰め込む事が出来て、予習と復習の時間がいらなくなり、ひたすら前に進みながら効率よく勉強が出来ました。
深田萌絵の昔の写真まとめ
深田萌絵さんの昔の写真ですが
引用:なこしらべ
昔から綺麗な方なんですね。
以上が、深田萌絵さんの学歴や昔に関する記事ですね。

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