有元キイチさんは1995年1月10日生まれの年齢は30歳です。
大学時代にはジャズ研に所属しています。
さらに、所属するユニット「ODD Foot Works」のメンバー・Pecoriさんと出会っています。
そんな有元キイチさんが音楽を始めたのは、地元のライブハウスで小学校か中学生ぐらいの時にギターを鳴らした事による事になります。
当記事では、有元キイチさんのwikiについて書きました。
有元キイチのwiki|年齢は30歳
引用:インスタ
有元キイチさんのwiki風プロフィールですが
Xにて、誕生日は1995年1月10日となっていますので、年齢は30歳となりますね。
有元キイチさんの出身地は東京都多摩市となります。
自身の出身地の多摩市について
都会にあるものはなんでもあるんですが、これといって特筆すべき何かがないというか。それは、東京に来ていろんなミュージシャンと喋ったりして、より感じたところでもあります。ソウルフルな温かさがある場所でもなくて、独特な感じ。『耳をすませば』のイメージ元となった聖蹟桜ヶ丘とかジブリっぽい感じもあったり、僕は多摩のスタジオでODDメンバーとも知り合ったり、本当にそのあたりで育ったんです。
引用:Rolling Stones
と話されています。
こちらが、有元キイチさんのライブ動画になります。
そんな有元キイチさんの経歴ですが
多様なジャンルを横断するヒップホップグループ、ODD Foot Worksのギター/サウンドプロデューサーとして2017年にデビュー。
以降、グループでは独創的かつ大衆性にも富んだ音楽像を担うキーパーソンとなり、個人としては佐藤千亜妃(きのこ帝国)のサウンドプロデュースを手がけ、池田エライザの楽曲制作などにも参加。
2021年12月には有元キイチ名義で初のソロライブを開催。深淵なメロウネスをたたえた未発表の新曲群を体現しソロアーティストとしての新たな可能性を提示した。 2022年3月、三浦透子「私は貴方」の作詞、作曲、編曲及びサウンドプロデュースを手がけた。
引用:imdkm
三浦透子と仲良くなったきっかけは?
三浦透子さんと結婚するきっかけとなった2022年3月リリースの「私は貴方」では、有元キイチさんが作詞・作曲・編曲・サウンドプロデュースをされています。
当時のインタビューにて
有元キイチさんは元々ソロをやりたいと思いデモを作り、三浦さんの所属レーベルのEMI Recordsの担当ディレクターに送った事がきっかけで、依頼の仕事を貰い、「私は貴方」を作りました。
元々、ソロをやりたいなと思ってデモを作り始めていて。テーマとしては、自分が普段頼りがちな部分であるビートとギターをあえて使わないことで、逆にこれまで作ってきたビートの感じや、自分のギターが聞こえてくるんじゃないかというのがありました。そんな思考で作っていたソロのデモを、うちのマネージャーが三浦さんが所属するレーベルであるEMI Recordsの担当ディレクターに送ったことがきっかけで、依頼をいただいて作ったのがこの曲です。
その後の制作課程については
「三浦さんに提供するぞ」と思って作ったというより、元々ご自身の中で挑戦してみたかったことを実践した結果なんですね。
そうですね。三浦さんに最初にお会いした時から、音楽よりもテクスチャーが聴こえるようなものを作りたいという自分の考えはお伝えしていて。でも、実際にお話ししていくうちに固まってきた部分も多いです。
と話されています。
このやり取りの中で仲を深めて行ったんですかね?
こちらが、私は貴方になります。
有元キイチの大学時代はジャズ研出身!
有元キイチさんは大学時代にはジャズ研に所属していました。
大学時代のジャズ研の先輩や音楽仲間たちをレコーディングに迎え完成させた4曲は、まさに金字塔と自身が語るほどの充実作に仕上がっている。そんな記念すべき1st EPについて有元に話を訊いた。
引用:Rolling Stone
有元キイチさんが所属するユニット「ODD Foot Works(オドフットワークス)」との出会いですが
当時の有元キイチさんは曲作りをした事がなくギターリストとして活動をしていましたが、メンバーのPecoriさんの知り合った事でアルバムの曲作りをジャズ研の部室などで行っていました。
──ODDのメンバーとはスタジオで出会ったっておっしゃってましたけど、ODDはどのようにスタートしたんでしょう。
有元:僕が別のバンドで練習してて、Pecoriがまた別のユニットでスタジオで練習していて。そこのスタジオの舟木さんっていう店員さんが、2人おもろいみたいな感じで知り合わせてくれて始まりました。そのとき僕は曲を作ったことがなくて。どちらかというとギタリストとして生きていたんですけど、DAWとかで作曲できる環境がより手に入りやすくなった時期で。その時にバーっとODDの最初のアルバムの曲を作り始めたんです。その時は、打ち込んで、ジャズ研の部室に行って管楽器録音したり、キーボードを録ったりしていましたね。
ウィキペディアでは、2016年夏頃にPecoriさんと出会ってる事になってて、有元キイチさんはこの時は21歳くらいになるので、大学時代に2人は出会ってる可能性が高そうです。
2016年夏頃にfanamo’が働いていた多摩市聖蹟桜ヶ丘のスタジオで客として通っていたPecori、Tondenheyが出会い、3人でセッションをしたのがきっかけで結成。
ちなみに、ODD Foot Worksは、日本の3人組ヒップホップグループでメンバーは
Pecori(ペコリ):ラップ
静岡県富士市出身。1994年生まれ。
赤い公園、[Alexandros] などの楽曲に客演で参加。Tondenhey(トンデンヘイ)/有元キイチ:ギター
東京都多摩市出身。1995年生まれ。
佐藤千亜妃(きのこ帝国、lyrical school など、サウンドプロデュース・トラック提供も行う。SunBalkan(サンバルカン)/榎元駿:ベース
埼玉県出身。1996年生まれ。
インストゥルメンタルバンド「1inamillion」のベース担当。引用:ウィキペディア
さらに、大学時代に友達と遊ぶ時にもいつも東京都多摩地域にある「野猿街道」を通ってたそうなので、多摩にある大学に通ってた可能性があります。
──1曲目のタイトルにもなっている「野猿街道」は、実際にある幹線道路なんですよね。どういう場所なんでしょう。
有元:小さい頃も、大学になって友達と飲む時も、いつも通っていた道なんです。おばあちゃんの車で送り迎えしてもらっていた記憶も色濃くあります。保育園とかの時だと思うんですけど、どこかまで送ってもらっていたような身近な存在です。
ナレッジステーションによりますと、多摩市ある大学は
- 桜美林大学(多摩アカデミーヒルズ)
- 国士舘大学(多摩キャンパス)
- 多摩大学(多摩キャンパス)
- 東京医療学院大学
と言った大学があります。
なので、有元キイチさんは上記のどれかの大学出身かも?しれませんね。
地元のライブハウスがきっかけで音楽を始める
有元キイチさんが音楽を始めたきっかけは
地元のライブハウスで小学校か中学生ぐらいの時にギターを鳴らした事で「自分の思い通りに音楽を作っていいんだ」と電撃が走ったそうで、その後スリーピースのハウスバンドの様な形で月1ライブをしていました。
──キイチさんは、どのようにして音楽をプレイする場所にたどり着いたんでしょう。
有元:ライブハウスがあったんですよね。LOOSE VOXというところなんですけど、すっごい音楽好きな人が多くて。そこで、小さい頃にライブをさせてもらったんです。そこはセッションの文化があって、ギターアンプを並べて、自分より2回り、3回りくらい年上の人に囲まれてギターソロを弾けみたいに言われて。それが中学生か小学生ぐらいだったんですけど、そこでギターを鳴らした瞬間に、自分の思い通りに音楽って作っていいんだ!みたいな電流が流れたというか。型にハマってないものを自分から提示するのが最初は怖かったんですけど、すごく楽しかった思い出があって。そこのマスターは松田優作の「YOKOHAMA HONKY TONK BLUES」を絶対に最後に演奏して終わるという面白い場所でもありました。
──キイチさんの音楽人生は、いきなりセッションからスタートしたんですね。
有元:スリーピースのバンドで、ハウスバンドみたいな形で月1でライブをしていましたね。オープニングアクトだったんですけど、子供がロックをやっているのが面白かったんでしょうね。すごく覚えているのが、初ライブしたとき友達も呼んでいたんですけど、次も来てよって言ったら、「1500円のコーラは飲めない」って言われて。いくらのコーラなら飲ませていいのかなみたいな、今でもライブするたびにその話を思い出したりするんです(笑)。
さらに、自身の音楽のルーツは「ゆらゆら帝国」で小さい頃にギターの練習をしながらずっと聴いてコピーをしてたそうです。
──リスナーとしての音楽ルーツはどういうところにあるんでしょう?
有元:ゆらゆら帝国はルーツだと思っています。小さい頃、ギターを練習するとともに、ずっと聴いてコピーしていたんです。「発光体」とか「ラメのパンタロン」とか。
以上が、有元キイチさんに関する記事ですね。
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