堀主知ロバートさんの両親は日本人でハーフではありません。
そんな堀主知ロバートさんは親戚を含めて、ほとんどが起業家の環境で育ったので、自然とビジネスに興味を持ち始めました。
そんな中でも、祖父は偉大な起業家で堀主知ロバートさんはかなり大きな影響を受けています。
両親はかなり厳しく堀主知ロバートさんを育てたそうで、物心ついた頃からどんな事でもダメ出しをされてしまいました。
ただ、弟さんはどんな事でもOKと言う育て方をされてたそうです。
当記事では、堀主知ロバートさんの両親や家族について書きました。

堀主知ロバートの両親|ハーフではなく純日本人
引用:ハワイに住むnet
堀主知ロバートさんの両親は日本人となります。
堀主知ロバートさんの父親だけでなく、伯父・母親の兄弟など家族のほとんどが関学出身で、実家は関学の正門から徒歩3分にありました。
その為に、関学中等部に入る事は当たり前だったそうです。
両親の教育はかなり厳しかった
堀主知ロバートさんの家の教育はかなり厳しいものでした。
物心ついた頃にはやる事なす事全てにダメ出しをされ、高校時代の門限は16時で学校帰りに友達とお茶を飲みたいと言うと「もう帰って来なくていい」と言われる事もありました。
「我が家の教育は本当に厳しかったですね。物心ついた頃からやることなすこと全てにダメだしをされました。正論で考えて、これならOKだろうと思うことでも、記憶にある限りまかり通ったことはありませんね。例えば、クラブ活動を選ぶにあたっても、小学生の時に水泳部だったので中学でも水泳をやりたいと言うと、答えはNO。高校生の時など、なんと門限が16時。学校から帰り「ちょっと友達とお茶飲んでくる」と言おうものなら、「じゃあ、もう帰ってこなくていい」とくるわけです(笑)。そこには、理屈など存在しないんですね」
引用:KG-TOKYO.COM
堀主知ロバートさんは両親にこの様な育て方をした真意を30代を過ぎた時に聞くと
親戚もほとんどが起業家
堀主知ロバートさんの実家は人の出入りが多く、一時期は親戚を含め25人程が一緒に住んでた事もあります。
両親などの自身の周りの大人は皆何かの商売をしてて、タフで自立した人達の集団の中で環境に育ったので、「みんな追い越してやろう」と考え、自分なりに一生懸命考える様になりました。
その様な環境で堀主知ロバートさんが学んだのは
世の中はかくもままならない
この呪縛から逃れるためにも、できるだけ早く自立する
引用:KG-TOKYO.COM
だそうで、堀主知ロバートさんが「自分を認めて貰うには両親達と同じ領域で成果を出さないといけない」と思い、両親以上の起業を目標とすると言った感じで、起業家の道を選ぶ事は自然な選択だったとか。
祖父は偉大な起業家でかなりの影響を受けた
祖父は和歌山県・白浜町で旅館の「川久(かわきゅう)」を経営しています。
清水寺の小坊主から野菜の行商・タクシー運転手・歩合制の営業マンなどでお金の貯めて、旅館を買収し、その後様々な事業をされていました。
堀主知ロバートさんの家族は起業家が多いですが、その中で祖父は「ゴッドファーザー」の様な存在で、特に大きな影響を受けたそうです。
堀主知ロバートさんは小学校の頃から祖父に商売に関する色々な話を教わり、実際に商売をする祖父の背中を見て育ちます。
弟が1人いる!
堀主知ロバートさんには弟が1人います。
弟さんに対して両親は何でもOKな育て方をしていたので、「きっと俺は橋の下の子や」と本気で一時期思ってた事もあるそうです。
母親と一緒にビジネスを行う
堀主知ロバートさんが起業家として活躍をしてた時に、母親から電話が来ました。
母親も起業家で、南紀・白浜に400億以上の資金を投じて、世界遺産に登録される様なホテルを作ると言うプロジェクトを手掛けてて、その仕事が忙しいから手伝って欲しいと言われました。
この仕事を手伝った事で、堀主知ロバートさんは起業家として大きく成長をする経験をできました。
「世界中から、その道のナンバー1と呼ばれる最高の職人さんをたくさんコーディネートしました。今でも忘れられないのは、関わった人全員が何かに取りつかれたように朝から深夜まで最高のモノを作ることに没頭した、不思議なエネルギーを感じたことです」
堀氏もこのエネルギーに引き込まれる中で、人を巻き込むことの重要性と醍醐味を知ったという。引用:type
このプロジェクトが一段落すると、母親と一緒に会社を作り、新事業として製菓会社に勤めるドイツ人の友人と組み、競走馬の栄養管理を行う事業を軌道に乗せます。
以上が、堀主知ロバートさんの両親や家族に関する記事ですね。
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