金子駆大さんの両親は離婚してて、その後母親の手によって育てられました。
父親との離婚前の名前は村上豊駿で、離婚後に改名しています。
父親もゴルフをしてて、競技レベルではなく90くらいで回る一般的なアマチュアレベルの人でした。
父親からゴルフを教わってた時は、かなりの鉄拳制裁で腕を2回折った事もありました。
母親は来未さんで、お姉さんが1人います。
当記事では、金子駆大さんの父親について書きました。
金子駆大は父親との離婚後に村上豊駿から改名を行う
引用:インスタ
金子駆大さんの両親は離婚をし、その後母親に育てられました。
離婚前の名前は村上豊駿(こうた)で離婚後に現在の名前に改名しました。
名古屋市内の小学6年生だった2014年。中部アマチュアゴルフ界で最高峰の中部アマチュア選手権(岐阜関CC)で予選を勝ち抜き、堂々と本戦に出場した。当時の名前は村上豊駿(こうた)。のちに両親が離婚して改名する、今の金子駆大だ。
引用:中日スポーツ
父親は一般的なアマチュアレベルのゴルファーだった
金子駆大さんの父親もゴルフをしてて、競技レベルではなく90くらいで回る一般的なアマチュアレベルの人でした。
金子: 父親はゴルフをしてましたが、競技レベルじゃなく90くらいで回る一般的なアマチュアという感じでした。だからかもしれませんが「上達すればミスはゼロになる」と思っていたのかもしれません。
引用:みんなのゴルフダイジェスト
母親の名前は来未で姉が1人いる
2020年12月9日の中日スポーツでは、母親の名前は来未(くるみ)さんで、母親に影響され3歳でゴルフを始めた事が書かれています。
そして、大学生の姉がいる事も書かれていました。
さらに、インタビューでは
頑張って母を喜ばせたい。そのためにも、もっと強くなりたい
プロに向けての意気込みを語っていました。
金子駆大の父親の鉄拳制裁エピソードがエグイ!
2025年1月のみんなのゴルフダイジェストにて、父親からゴルフにおいて鉄拳制裁の指導を受けてた事を話されています。
- 小学校1年時には手を上げられてた
- 小学校の時に蹴られて、腕を2回骨折した事があり、骨折してても包帯をしながらパター練習をさせられてた
- 毎日のように手を上げられてて、食事中に箸が飛んで来たり、手が出る事もあった
- 全国大会で優勝した時にはスコアの内容が良くない事で手が飛んで来た
- ゴルフの練習の為に学校を休まさせられ、小学校は半分くらいしか行かさせて貰えなかった
- 練習では父親が打席の後ろに座り、ミスショットが出ると、金子駆大さんにボールをぶつけて来たり、グリップ側で頭を叩かれたりした
と言った感じでかなり凄い内容でした。
当時は、「何球打てば終わり」と言う様なルールはなく、かなりの練習をしてたので
こんなにボールを打ってプロになれないとしたら、「じゃあ、誰がプロになるんだ」
と思ってたそうで、プロゴルファーを将来の夢と思った事もないそうです。
金子駆大さんは父親に毎日鉄拳制裁を受けてたので、その理由については全く覚えていないそうです。
金子: たぶん、毎日のようにやられていたからだと思います。殴られていた記憶はあるけど、「何で」っていうのはまったく覚えていません。だから「これがいけなかったんだ」という理由もまったく覚えてない。だって、食事中に箸が飛んできたり、手が出てくることもありましたからね。そこまでくるとゴルフの話もなく。当時も今もよくわかりません……。
当時の金子駆大さんはかなり辛かったそうで、このインタビューにて、鉄拳制裁をする親について
金子: どんなことが原因だろうが鉄拳制裁をする親はありえないです。
と話しています。
さらに、父親からの鉄拳制裁があったからゴルフが上手くなった訳ではなく、プロになれた訳ではない事も話されています。
金子: 自分は練習に耐えられる体があって、たまたまボールを上手く打つ才能があったからプロになれただけ。
小斉平: でも、それって本当に運みたいなものだよね。
金子: うん、同意。同じように親からの暴力を受けていてもプロになっていない子がたくさんいるってことは、殴られたから上手くなるわけじゃないってことなんですよ。
以上が、金子駆大さんの父親に関する記事ですね。
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