岡副真吾の嫁(妻・奥さん)・徳子のwiki風経歴|父親はキッコーマン社長?

岡副真吾さんのお嫁さんは徳子さんです。

妻の徳子さんと岡副真吾さんは慶応義塾大学の同級生です。

さらに、お嫁さんの徳子さんの父親は1985年~1995年にキッコーマン社長を務めた中野孝三さんになります。

妻の徳子さんは大学卒業後は外資系の会社員を経て、2015年から金田中の女将になっています。

当記事では、そんなお嫁さんの徳子さんのwiki風経歴やプロフィールについて書きました。

目次

岡副真吾の嫁(妻・奥さん)の徳子のwiki風プロフィールは?

岡副真吾さんのお嫁さんは徳子(のりこ)さんです。

引用:読売新聞

お嫁さんの徳子さんのwiki風プロフィールですが

  • 1961年千葉県野田市生まれ
  • 学歴:慶応義塾女子高校→慶応大学 法学部法律学科(1984年卒)

お嫁さんの徳子さんが慶応に進学したのは

一族には慶応出身者が多く父も兄たちもみな慶応でしたので、慶応への進学は自然なことでした

引用:東洋経済

とコメントされています。

岡副真吾と妻の徳子は大学の同級生

岡副真吾さんとお嫁さんは慶応義塾大学の同級生との事です。

慶応義塾大学の学友、金田中3代目、岡副真吾と結婚し若女将となる。

引用:シブヤ大学

妻の徳子さんは結婚時は料亭がどんな所なのかよく知らなかったそうです。

周りから「何も教育を受けてない人間が嫁ぐと迷惑だからやめなさい」と反対されるも、お嫁さんは「そんな事ない」と反対を押し切り結婚をしました。

ただ、結婚当初は妻の徳子さんは「しまった」と思ったとか。

亀甲萬本店での妻の徳子さんのインタビューでは35年前に結婚したと話されてるので、かなり結婚生活が長い事が分かりますね。

私が嫁いだ35年前には、料亭、茶屋が20〜30軒ありましたが
今では5〜6軒、芸者も少なくなりました。

嫁の父親はキッコーマン社長

妻の徳子さんの

父親は1985年~1995年にキッコーマン社長を務めた中野孝三さんで祖父は同社第4代社長の栄三郎さんです。

お嫁さんは4人兄弟の末っ子で兄が3人います。

お兄さんとの思い出については以下の様に語っています。

兄が三人いて、私は末っ子。のんびりしているとお肉がなくなってしまう(笑)。
お肉を最初に人数分に分けて、兄たちにとられないように見張りながら食べたりして。
私は好きなものを先にいただくタイプですが、一つ上の兄は、最後までお肉を取っておいて、
みんなが食べ終わる頃に嬉しそうに食べてみせて。

引用:亀甲萬本店

お嫁さんの父親の経歴ですが

  • 1927年7月19日生まれで千葉県出身
  • 1950年、慶應義塾大学経済学部 卒業
  • 1950年に野田醤油(のちのキッコーマン)に入社
  • 1970年2月に取締役に就任し、1974年2月に常務、1984年3月に専務を経て、1985年10月に社長に就任
  • 1995年2月3日に心不全で67歳で亡くなる

となります。

父親以後のキッコーマンの社長ですが

茂木友三郎:1995年 – 2004年
牛久崇司:2004年 – 2008年(創業家以外の出身)
染谷光男:2008年 – 2013年(創業家以外の出身)
堀切功章:2013年 – 2021年
中野祥三郎:2021年 – 現職

引用:ウィキペディア

となってるそうです。

そして、現在の社長の中野祥三郎(なかのしょうざぶろう)さんですが

1957年千葉県出身。81年慶應義塾大学大学院経営管理研究科修了後、キッコーマン入社。国内営業、海外販社出向、2008年4月経営企画部長、6月執行役員、11年常務執行役員、12年CFO(最高財務責任者)、15年取締役常務執行役員、19年キッコーマン食品社長(現任)。21年6月、キッコーマン社長に就任。

引用:経済界ウェブ

ただ、こちらの方が妻の徳子さんの親族の方なのか?は不明でした。

岡副真吾の嫁(妻・奥さん)の徳子のwiki風経歴は?

引用:逸流女将の会文化講座

お嫁さんの徳子さんは、大学卒業後外資系の日本IBM株式会社」に勤務していました。

嫁いで来た当初は妻の徳子さんは料亭関係の事に関して何を知らなかったので、周りは「何も知らないくせに」の様な雰囲気が漂っていました。

ただ、結婚して5年程経った時に初めてカウンターのお店を岡副真吾さんと一緒に創った事で「一生懸命やるとお客さんが来てくれ、自身のやった事が返って来る」という経験をした事で、お嫁さんは「仕事をやろう」と思う原点になったとか。

例えばお食事やお座敷はもちろん、お香であったり、お茶であったり、床の間にはお軸が掛かりお花が生けてあります。まずそういうことを全然知らなかった。その上、ここはプライドを持ってお仕事されている芸者衆がいる花柳界なので、昨日今日来た私に対しては、何も知らないくせに、みたいな雰囲気が凄く漂っていて。それでも、5年くらい経って、初めてカウンターのお店を主人と一緒に創ったことが、私が仕事をやろうと思った原点になりますね。当たり前なんですが、一生懸命やるとお客さんが来てくれて、自分のやったことが返ってくるって思いまして。そうやって、少しずつ慣れていったという感じです。

引用:逸流女将の会文化講座

2015年に先代の女将の後を継ぎ金田中の女将になっています。

妻の徳子さんは女将として

料亭「金田中」のほか、銀座にすき焼き・鉄板焼「岡半本店」、カウンター割烹「金田中庵」、表参道に和カフェ「茶洒 金田中」と様々なスタイルの店舗を展開している。

引用:逸流女将の会文化講座

以上が、岡副真吾さんのお嫁さんの徳子さんに関する記事ですね。

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