奥村頼人のイケメン画像まとめ 父親の倫成は野洲高校を強豪校まで育てた!

奥村頼人さんの父親は倫成さんで、野洲高校の野球部監督を長年務めていました。

赴任時、弱かった野球部を県大会で準優勝レベルの強豪まで育てています。

伊香高校・国士館大学出身で、野球部に所属しライトを守っていました。

さらに、前田悠伍さんの両親は父親の高校の後輩となります。

当記事では、奥村頼人さんのイケメン画像や父親について書きました。

妹や母親に関する情報はこちらです。

目次

奥村頼人のイケメン画像まとめ

まずは、奥村頼人さんのイケメン画像を見て行きましょう。

こちらは、小学校6年時に阪神タイガースのジュニアチームに在籍してた時の画像です。

引用:阪神タイガース

引用:ヤフーニュース

こちらは、高校1年時の画像です。

こちらは、高校2年時の画像です。

織田翔希さんとの画像です。

引用:日刊スポーツ

引用:産経新聞

笑顔の画像です。

引用:産経新聞

引用:日刊スポーツ

最後にマウンドで躍動してる画像です。

引用:神奈川新聞

引用:日刊スポーツ

ちなみに、こちらは顔は映っていませんが、野洲ボーイズ時代の奥村頼人さんの動画です。

奥村頼人の父親は伊香高校・国士館大学 野球部出身

引用:産経新聞

奥村頼人さんの父親は倫成さんです。

こちらが父親の画像です。

引用:高校野球ドットコム

BaseballChanelの2023年10月10日の記事にて、父親は白山高校の東拓司さんより3歳年上となります。

奥村は東よりも年齢が3歳上ながら

Sportsnaviの2024年2月16日の記事にて、東さんの年齢は46歳となっています。

なので、父親の年齢は50歳くらいとなります。

右投げ両打ちで伊香高校・国士館大学時代は外野手を務めています。

初めて野球部の監督を務めたのは大津高校になります。

大津高校は公立の進学校でしたが、滋賀県ベスト8まで強くしました。

その後、長い間野洲高校の監督を務め、現在は八日市高校を指導しています。

父親はソフトバンクホークスの前田悠伍さん父親とは伊香高校のチームメートで、前田さんの母は父親の後輩です。

父親が在籍した伊香高校は、甲子園に出場されています。

  • 夏の甲子園は、1968年度・1973年度・1987年度
  • 選抜大会は、1977年度・1987年度

となっています。

父親が高校を卒業したのは1995年頃なので、父親が在籍してた時には甲子園には出場していませんね。

前田悠伍とは親戚関係

前田悠伍さんは親戚関係になり、過去に交流もありました。

奥村頼人さんは中学時代に、前田さんと同じ湖北ボーイズでのプレーも考えましたが、「対戦してみたい」と思い、滋賀野洲ボーイズを選びます。

奥村頼人さんは前田さんについて

1年時、春先の練習試合で前田投手と投げ合い、2対1で勝つことができたんです。ずっと、背中を追いかけてきた左投手。負けたくない

引用:週刊ベースボール

とコメントしています。

野洲高校を強豪校に育てる

父親は2006年4月に野洲高校の野球部の監督に赴任します。

当時の野球部員は5人程の弱小高校でした。

この野球部を部員80人程に増やし、2009年秋と2012年夏の滋賀大会で準優勝する程の強豪へと育てています。

ちなみに、野洲高校のグランドはほぼ手作りだそうです。

その事についてはBaseballChanelの記事にて

奥村や当時の野球部長である小川健太(現八幡商業部長)、コーチの橋元宏太、そして保護者の力も総動員して少しずつ環境を整えていったのだ。

と書かれています。

白山高校の監督が兄貴分と慕う

父親が野洲高校監督時代に兄貴分の様に慕ってたのが、白山高校の監督の東拓司さんで

この方は10年連続三重大会初戦敗退の弱小県立高校の白山を2年後の2018年夏に甲子園初出場させた監督です。

この事は「下剋上球児」として書籍化され、2023年秋には同作原案でテレビドラマ化されました。

ちなみに、父親と東さんは高校卒業後に体育系大学受験専門の予備校・体育進学センターに通ってたという共通点があり、お互いに親近感を覚えたそうです。

東拓司さんが白山高校に赴任当初で部員が集まらない事に悩んでた時に、父親は

最初は100人リストアップして、10人来てくれたら御の字やで。最初から15人とか来るわけないやん

ええか、レギュラーに声かけたって来てくれるはずがないやろ。最初に見るんはグラウンドやない。ベンチや。ベンチの端っこで一生懸命に声を枯らして応援してるヤツ。そういうヤツをくださいと言うんや

引用:Sportiva

と言うアドバイスを送ります。

父親は東さんに、グランドの作り方や選手勧誘の仕方から不祥事が生じた時の始末書の書き方まで包み隠さず全部教えてて、東さんにとって父親は最大の理解者で恩人となります。

父親は野洲高校がどんな風に変わって行ったかを東さんに教えて、東さんは「野洲高校の様な前例がある」事実に心強さを覚えました。

父親の事をかなり尊敬してる

父親について、奥村頼人さんは2025年3月21日のSportivaにて

父は部員が少なく、雑草だらけの(グラウンドだった)県立高校を県準優勝まで育て上げた指導者なので、尊敬しています。父から言われてきたのは『言い訳は成長を止める』という言葉で、今も自分に刻んでいます。父から学ぶことはすごく多いです

奥村監督が今日の投球を見たら、何と言うと思うか。そんな質問が飛ぶと、奥村は不敵に笑って「フォアボールを出したことを怒っていると思います」と答えた。ちなみに、奥村の言う「フォアボール」とは、この日に許した唯一のランナーである。

とコメントされています。

父親の事をかなり尊敬してる事が分かりますね。

さらに、父親とはどちらが先に甲子園に行けるかを競走してたそうで、奥村頼人さんが甲子園に行った際には羨ましがってたそうです。

野洲の監督時代に甲子園目前まで迫った奥村監督だが、その後も甲子園には出場できていない。そのことについて聞くと、奥村はこう答えた。

父と自分は『どっちが先に甲子園に行くか?』と言い合っていたので、父からは『うらやましい』と言われました。自分は『勝ったな』と思いましたね(笑)

その粋なコメントは、息子から父へのエールのように感じられた。

親は捕手か遊撃手にさせたかった

奥村頼人さんは、生まれつきは左利きでしたが、「左投げだとポジションが限られる」と親は捕手か遊撃手をさせたかったので、しばらく右投げの練習をしていました。

ただ、野球チームに入ってからは左で投げてたそうです。

名前の由来は父親の現役時代のポジション

奥村頼人さんの名前の「頼人(らいと)」の名前の由来は

父親の現役時代のポジションがライトだった事と「頼られる人間になって欲しい」の願いが込められています。

2025年4月13日の高校野球ドットコムでは、父親の倫成さんが奥村頼人さんについてインタビューを受けています。

父親によると、息子さんは小学校の頃から野球の才能は凄かったそうですが、野球に対する姿勢に対しては厳しく教えて来たそうです。

奥村監督によると、頼人は小学生の頃から投げることに関してはずば抜けた才能を持っていたという。世代トップクラスの息子には野球に対する姿勢を説いてきたそうだ。

顔に出したり、まだ幼い面があったので、『それはアカンぞ』と厳しくは言いました。技術的には高いですけど、天狗になるところもあったのでね。でも、横浜に行った瞬間に変わっていました。みんなのレベルが高いので、お山の大将ではやっていられないのでしょう。もうここまで来たので、後はやってくれると思います

ちなみに、父親が監督を務める四日市高校は2025年4月12日の春季近畿地区高等学校野球滋賀県大会 1回戦で瀬田工に0対2で敗れています。

敗れはしましたが、チームのレベルは高く夏の大会では優勝を目指しています。

息子に負けじと父も教え子の指導に全力を注いでいる。「同じ高校生なので、ステージが違うことはないと思う。何か刺激になってくれたらとはいつも思っています」と部の更なる活性化に期待している。

「滋賀県はわからない」と話す奥村監督。虎視眈々と夏を見据えている。

以上が、奥村頼人さんのイケメン画像や父親に関する記事ですね。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次