田中均JA組合長は、1977年に中央協同組合学園を卒業後に長野県農協中央会に入会をしています。
その後、1997年に長野県農協中央会を退職し、専業農家になりました。
そして、2014年5月にJA松本ハイランド常務理事に就任し、2021年5月からJA松本ハイランド代表理事組合長に就任しています。
当記事では、田中均組合長のwiki風経歴や学歴について書きました。
田中均JA組合長の画像&wiki風学歴|大学は中央協同組合学園卒?
引用:JAcom
田中均組合長のwiki風プロフィールですが
- 名前:田中均(たなかひとし)
- 生年月日:1956年2月生まれの69歳
学歴は
1977年に中央協同組合学園を卒業しています。
こちらが、田中均組合長の動画になります。
田中均JA組合長のwiki風経歴は?
引用:JAcom
田中均組合長の経歴は
1977年4月に長野県農協中央会に入会をしています。
3年間支所営農農政係で勤務するも、行政に頼らないといけない農政活動が性に合わなくて、志願し監査士を取得し経営監査係として支所勤務を経て、教育部・組織経営部に通算20年勤務していしました。
田中均組合長は入会時から漠然と「20年経てば退職し自分の道を探したい」と思ってて、労務指導担当時に社会保険労務士を取得したので、退職して開業する事を考え、1997年に長野県農協中央会を退職しました。
そして、営業活動の傍らスイカ栽培を始めた事で、農業が主業になって行き、スイカと白ネギの専業農家になりました。
その後、すいか部会役員・信用専門委員・農家組合長・総代会長とJA役を務め、2011年に支所担当理事に就任し、非常勤理事を1期務め、営農経済担当常務を3期務めました。
田中均組合長は2014年5月にJA松本ハイランド常務理事に就任しています。
なったばかりの頃はついていくのがやっとで常に頭の中で「本来の自己改革とは何をする事なのだろうか」と自問自答を繰り返していました。
そして、2014年から始まった松岡光明さんの「大きな協同と小さな協同」の2か月に一度の会の後に行われる反省会に田中均さんは参加して色々勉強した事がきっかけでやるべきことが見えてきました。
その内容は
「大きな協同」とは経済合理性の追求であり、例えば連合会事業・合併・支所統廃合・事業連携などだが、これだけでは「みこし」を担がない「ぶら下がり」が生じる。「当事者意識」を持たない「ぶら下がり」の組合員が増えれば、事業基盤・経営基盤が弱体化する。したがって、「当事者意識」を醸成する必要があり、そのためには顔の見える「地域での協同活動」、即ち「小さな協同」の取り組みが必要なのである。つまり、「自己改革」とは、何か新しいことをすることではなく、協同組合として本来の機能を発揮すること、つまり組合員自らが協同活動をすることに他ならないのではないかということである。
引用:JAcom
その後、不慮の事故で亡くなった松岡さんの遺志を受け継ぎ、松岡さんが初代塾長を務めた「協同活動みらい塾(組合員大学)」を継続し、協同活動を実践するステージとして「支所協同活動運営委員会」を2021年に創設しました。
※支所協同活動運営委員会は、支所担当理事が中心になり、組合員自身が参加・参画し、地域の組合員の悩み・願いを解決する事も主な目的の委員会。
2021年5月、JA松本ハイランド 代表理事組合長就任。
田中均さんは、2024年5月26日の第33回総代会で代表理事組合長の再任が決まりました。
さらに、2024年8月6日に第45回農協人文化賞を受賞しています。
以上が、田中均JA組合長に関する記事でした。
コメント