鶴保庸介さんの元妻は和歌山県出身で、東京で芸能事務所関連の仕事をしてた北川景子さん似の美女です。
元妻とは2014年2月上旬に入籍し、2014年10月に離婚をしています。
元妻との間には、2014年2月末に生まれた息子さんがいます。
鶴保庸介さんは子供さんに会ったのは数回程度で、養育費の支払いが一時滞った時期があります。
当記事では、鶴保庸介さんの元妻と子供について書きました。
実家や両親に関する情報はこちらです。

鶴保庸介の子供は息子1人で11歳!会ったのは数回?
鶴保庸介さんは離婚した元妻との間に子供がいます。
なので、現在の子供の年齢は11歳となります。
鶴保庸介さんは国会期間中の忙しい時間を縫い、出産に立ち会いました。
2016年8月19日のNEWSポストセブンでは、鶴保庸介さんが子供に会ったのは3・4回程だったと書かれています。
鶴保さんが子供に会ったのも3、4回程度。彼には父親としての自覚や責任感はまったく感じられません
養育費が未払いだった?
子供が産まれた2か月後の2014年4月に鶴保庸介さんが勝手に離婚届を提出してたそうです。
2人の合意の元で離婚届を提出すると約束してたにもかかわらず、勝手に提出をしてたとか。
そして、2014年10月に元妻はお金目当ての思われたくないので慰謝料は請求せずに、月10万円の養育費だけを払って貰う事にして離婚に合意をしました。
しかし、2015年10月から養育費の支払いが滞ったそうですが、その後未払い分の100万円をまとめて払ってくれたそうです。
その経緯について2016年9月5日のデイリー新潮にて
元妻の親族が告白により、2016年8月に元妻との離婚まで経緯がNEWSポストセブンに載りました。
それまで鶴保庸介さんは「養育費を払って欲しいならたまに返事を下さい」などのメールを送ってたけど、記事が出る直前に未払い分の養育費の100万円をまとめて振り込んで来ました。
「未払い期間中にあたる今年7月の参院選前、鶴保さんから『いよいよ(選挙)です。手伝ってくれませんか』というメールが娘に送られてきた。それまで娘は、もう関わりたくないという気持ちから、連絡が来てもほとんど返事をしていませんでした。そんな冷めた関係なのに選挙応援を頼んでくるなんて、呆れますよね」(同)
そしてこの8月、山田さんの「親族」の告白によって事が発覚したわけだが、
「それまで彼は、『(未払いの)養育費を払ってほしいなら、たまには返事を下さい』などとメールを送ってきたのに、記事が出る直前になって一転、慌てたように未払い分の100万円をまとめて振り込んできたんです」(同)
この事について鶴保庸介さんは
鶴保氏に一連の経緯について尋ねると、養育費に関しては振込先口座の変更があったため一時的に支払いを停止していたとした上で、
〈現状につきましての(山田さん側の)一方的な主張に対して、当方は何もお答えする用意はございません〉
とのコメントをされています。
鶴保庸介の元妻(嫁)は北川景子似の美女!
鶴保庸介さんの元妻ですが
- 和歌山県出身
- 2014年2月上旬の元妻の29歳の誕生日に入籍
- 北川景子さん似の美女
- 東京で芸能事務所関連の仕事をしてた
となります。
婚姻届は子供が産まれる約3週間前に鶴保庸介さんの実家がある大阪市に提出をしました。
2人の結婚について2016年8月19日のNEWSポストセブンにて
地元でもほとんど知られていない“極秘入籍”。
と書かれています。
元妻(嫁)とは知人を通じて知り合う
鶴保庸介さんと元妻は
知人を含めた3人で都内ホテルで会食をし、すぐに鶴保庸介さんに食事に誘われ、交際を2011年10月頃から開始。
2人でサイクリングや旅行に行くなど交際は順調。
2012年夏頃に元妻の実家に2人で訪問する。
この時の元妻の両親の鶴保庸介さんの印象は「物腰の柔らかいいい人」。
2013年夏に元妻の妊娠が発覚し、鶴保庸介さんは「子供ができれば家族同然なので、これからは議員宿舎で生活すればいい」と言われ、半同棲生活が始まる。
その後、2人で鶴保庸介さんの両親に挨拶に行くも、両親とりわけ母親が結婚に乗り気ではなかった。
と言った感じでした。
両親との面会がきっかけに態度が急変?
鶴保庸介さんは元妻への態度が、鶴保庸介さんの両親に会った事で良くない方向に変化して行ったそうです。
いずれにせよ、鶴保氏の山田さんに対する接し方が変化するのは、この両親との面会以降のことである。
引用:デイリー新潮
鶴保庸介さんとの入籍の話が一向に進まないので、2013年10月に知人を含め3人で鶴保庸介さんに婚姻届を書いてもらいました。
ただ、鶴保庸介さんは入籍の条件として離婚届を書く事を要求して来たので、元妻は渋々離婚届を記載しました。
その後も鶴保庸介さんは婚姻届の提出を躊躇し続け、2014年2月上旬に提出をします。
出産は刻一刻と迫っていたが、鶴保氏はなお婚姻届の提出を躊躇(ちゅうちょ)し続けた。
「『(13年の)クリスマス・イブに婚姻届を出そう』と言ったかと思えば、翌日に『気が変わった』と前言撤回。彼の口癖は『気が変わった』でした」
引用:デイリー新潮
以上が、鶴保庸介さんの子供と元妻に関する記事ですね。
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